被害者の方たちは、この法案は『被害者ではなく、分社化によってチッソを救う法案だ!こんな法案は必要ない。』と抗議の声を上げて活動を続けたが、民主党が自・公の法案修正に合意し可決に至った。民主党の水俣病対策作業チームの松野信夫座長が、被害者に頭を下げる場面もあったと聞く。
水俣病の原因企業チッソの分社化を盛り込んだ「未認定患者救済法案」の衆院通過に抗議する集会が5日、水俣市公民館で開かれた。参加者から参議院での慎重な審議や廃案を求める意見が相次いだ。
集会では、大石会長らが『水俣病問題に関心や理解のない国会議員のトップが話し合っただけ。救済を後回しにし、加害者を擁護する法案は許せない』と批判。諌山会長は『上京して慎重審議をお願いし、民主党の鳩山由紀夫代表から快く返事をもらったのにこの結果だ。国会は非常識の府で信用できない。』と憤った。
この法案は、衆議院環境委員会及び本会議を一切の審議なく、可決された。加害企業チッソを事業継続会社と補償実施・公的債務返済会社に分離するものでである。事業会社の株式売却益をその財源に充当することが表向きの理由とされているが、3月に自・公によって国会に上程された「水俣病被害者救済の特別措置法」は水俣病責任からチッソを分社化し、逃亡させる一方で、公害地域指定解除を行い、水俣病認定申請をさせず、水俣病を終結させるという内容の法案だった。
地域指定解除は被害者団体などの抗議により、法案から外されたが、この法案の大きな問題である「分社化」は民主党環境部門や水俣病対策作業チームの反対により、一時頓挫しかけた様に思われていたが・・・突然、与野党協議から、国対・政調レベルに引き上げられ、自・公幹部と民主党幹部の与党案の一部修正で取引が成立し、一気に決着が謀られた。
無論、裏で動いたのは「チッソ」であり、それに関連する企業・経済界なのは想像するまでもないだろう。それに経産省・財務省・環境省も大きな後押しをしたことも、よくお邪魔する BLOG BLUESさん 流に言えば『あたり前田のクラッカーでしょ。』
水俣病事件は公式確認以来、ずーっとずーっとこの図式で、被害者を見捨てて、更に被害を拡大させたのだから・・・。これが水俣病の歴史なのだ。
TVは、大して重要とは思えない、そのまんま東・橋下両知事の話や政局の話は時間をタップリとって細かく放送するが、水俣関連のニュースは極端に少ない。その中で見つけたNHKオンラインニュースによると「水俣病の未認定患者の救済法案」が与党と民主党が合意したことに対して、作家の柳田邦男氏などが記者会見を開き、救済の財源を確保するためチッソを「分社化」すれば責任をあいまいにするとして、法案から削除するよう求める声明を発表したとのことだ。
柳田邦男氏の発言
分社化は、加害企業が責任を免除されて、補償は別会社でやればいいということを意味する。PPP(汚染者負担原則)に反対している。=水俣病特措法 幕引きの立法はやめよ=(2009年6月29日 毎日新聞「社説」)の最後の部分にこう書かれている
加害企業は、事業活動(金儲け)に専念。補償は別会社でやるということを、国が決めているということ。
今後、公害、薬害を起こした企業が、別会社をつくって、後のことは知りませんとなってしまう可能性をはらんでいる。
こんな内容の法案を法律にしてしまうおうとしている。
――水俣病被害者の救済が進まない最大の障害は77年に環境庁(現環境省)が設定した認定基準である。二つ以上の症候が認定の条件である。04年の関西訴訟最高裁判決で、有機水銀汚染を受けたことが確認できれば、ひとつの症候でも司法救済することが確定した。それにもかかわらず、行政は基準見直しを拒否している。現行の認定基準で行われている熊本県での認定作業では棄却が多数を占めている。与党、民主党が認定問題に踏み込まないことは合点がいかない。日弁連が基準の見直しを求めているのは当然のことだ。
水俣病問題は国会対策として扱われるべきではない。早期立法化で妥協しても、水俣病は終わらない。――と、まったくその通りだ!
この法案は「被害者救済」と銘打っておきながら、被害者側には何の相談もせず、ひたすらチッソの会長と水面下で話を続けたダケ・・・。こんな「法案」を平気で堂々と国会対策として扱う「民主党」に『国民の生活が第一』などと言う資格などない!所詮、民主党は大企業を優遇してアメリカ追随の「新自由主義・改憲」を推し進める、自民党と体質は同じ政党ちゅうことが分かってない人が多すぎて・・・虚しさで疲れてきた。
この法案に反対した「共産党・社民党」にもう少し力があれば、被害者の方たちをこの様な悲しく、遣り切れない気持ちにさせなくて済んだかも知れない?
特に共産党さんよ『あのカニコーセンの党で〜す』なんて宣伝カーから流しながら駆け抜けても誰も振り向きませんよ。(煩いと思われるダケ)共産党は護憲政党だし、自民党や民主党より国民の利益になることを言っているんだから、もうソロソロ、我々貧乏庶民の声に真剣に耳を傾けてもいいんじゃないの?横須賀市の選挙結果が物語ってんじゃん。自民も民主もイヤと、自民でも民主でもない、庶民の為の庶民の「政党」が欲しいと、多くの貧乏な庶民は望んでいるんだよ。貧乏人を大事にするハズの「共産党」に票が集まらないよね。何でだかわかる?いつまでも「共産党」なんて古臭い党名じゃなく、「日本共生党」にでも変えて、取り敢えずは大風呂敷でもいいから貧乏人の心を掴むようなことをしてみなよ・・・そのアイデアはBLOG BLUESさんところに色々と書いてあるので参考にしてさぁ〜。
じゃないと共産主義などまっぴらご免だが、自民・民主(公明は論外)より共産党の方がずっと良いと思い、期待も込めて落選しても落選しても共産党候補に投票し続けている私の様な者の気持ちが離れてしまいますよ。友人などに共産党の応援を頼むのは大変なんですよ。共産党に投票するヤツは「赤」とか言う人がまだ結構居てさぁ。
本当に疲れて何を書いているのか分からなくなってきちゃったので、
最後に作家の石牟礼道子さんが、この法案可決前に被害者の集会に寄せたメッセージを見つけたので、紹介して終わることにする。
この度、私共は東京に、日本という国を探しに参りました。
国に「なさけ」があるのなら
と申しますのは患者の中に、「東京にまで行ってみたばってん、日本という国は見つからんじゃった。」
とおっしゃる方々が沢山いらっしゃるからでございます。これは我が民族におって由々しきことではないでしょうか。考えてみれば、日本という国が無いとしても、人の世があり、そこには人の情けというものがあって、私どもも何とか生き延びることが出来たと思っています。
その「なさけ」を求めて、探しに来たのは議員の方々が人に選ばれた方々であるからでございます。お願いですが、日本という国の情けが何処にあるのかお教え頂きとうございます。私共、水俣の者達は、人類が体験したこともない重金属中毒事件に50有余年も捉われ続けております。この年月は親子、祖父母、三代にも四代にも亘っています。有機水銀を脳や身体に取り込んだ人間の一生を考えてもみてください。
言葉もろくに話せず、箸や茶碗を抱えるのも困難で、歩くことも普通に出来ません。女性の場合には下の始末も自分では出来ません。これはあんまりでございます。議員の方々には人類史上初めてと言われる長い長い毒死の日々を生きている人々の日常をご推察頂けるのではないでしょうか。
不知火海の汚染は世間が考えるよりは凄まじく、私共発病者を初め、対岸の小さな離島の数々、鹿児島県の島々に患者が続発し、今や万をはるかに超えました。人間や魚の発病だけでなく、海底の食用植物の危険度についても国や県は調査しておらず、一人の人間の胎児の時代から少年、青年、壮年、老年の経過については、一部の研究者はおられませうが、国民は病状の実態について知らされておりません。これからも患者の発生が続くと思われます。
明治41年に始まったチッソは高度成長期を頂点にして世界史的な発展を遂げ、国策に寄与してきました。それに対して水俣病の発生は一種の凶兆でした。何しろ昭和7年から36年もの間、有毒汚泥を不知火海に朝も昼も晩も流しつづけたのですから。長い間には裁判を起こした患者もいて、2004年には最高裁で熊本県と国にも責任があるという判決が下されました。県と国は判決を殆ど無視して今日に到っております。それがあらぬかこの度国会に提出される特措法案では未認定患者を表向きは救済するとし乍(なが)らチッソの分社化と地域指定解除を謡いあげております。
こんな残酷な毒物を背負ったまま患者達は認定、未認定に関わらずあの世へ行かなければなりません。よくもこんな残酷な法案を作ったものです。この様な法案を作って世界に示す民族性を私共は国辱と思います。水俣病に本質的な救済というものはありえません。何故なら一度身体に入った有機水銀は出ていかないからです。せめて生き残った者が、この「人柱」たちを少しでも楽になれるようにさせて頂くというお気持ちになってくださらないでしょうか。
水俣病は治療法が無く、不治の病となっています。日夜苦悩している患者達を救済するどころか、審査会にかけて棄却する方向に持っていきつつある様に思います。処理しきれぬ程に増えた患者数に驚き、なるべくなら早く死んでほしいと思って、長引かせているやに思われてなりません。
せめて国が、できることは、日々の生活の足しになるような慰謝料を差し上げることか、治療法に取り組む医者を育てるとか、棄却などという冷酷な言葉で処理しないように、国力を挙げてお取り組み頂きたいと思います。多くの人が選んだ議員様方にぜひともご協力頂きたいと存じます。
今日は私共のために、貴重な時間を割いて下さり本当に有難く存じました。祈念を込めてお願い申し上げます。2009年6月3日 石牟礼道子


■神奈川県民ホール







