2012年05月15日

ぶらり旅から帰って読んだ「世界」

連休後の観光客の少ない時期を狙って出掛けた「ぶらり旅」(これは後日、書く)から帰ると、マンションの郵便受けに、月刊『世界』(岩波書店)が届いていた。早速封を切り、取りだした6月号の特集は〜沖縄「復帰」とは何だったのか〜だった。旅帰りの荷物整理をそこそこに終え、読み始め気付く。今日がアメリカの統治下に置かれていた沖縄が日本に復帰してから、40年目にあたる日であることに。

世界.jpg


まだ一部を読み終えたに過ぎないが、どれも読み応えのある内容だった。
そもそも「復帰」とは何か。本土とは何か。と疑問符が付くのだが・・・
鳩山政権で普天間移設問題がクローズアップされてから、何故か返還後の40年間で今が一番、沖縄と本土の間に距離が出来たような空気が漂っている。これは危険な兆候だ。
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2012年05月03日

いつものことだが・・・

GWと言うことで、嫁さんは昨晩から山登りに出掛けた。帰って来るのは6日だそうだ。だから3〜5日は完全に一人暮らし・・・静かだ。
飯の支度をするのはちっと面倒だが、「嫁さん元気で留守が良い」って口だから、それもまた結構楽しい。

ってなワケで、今日は自分の部屋より広いリビングにノートパソコンを持ち込み、久しぶりにブログ更新。でえーっと今日は超久しぶり(10年以上)に釣りに行ったことを書くことにする。
でもその前に、一つ書いておく。昼前は確かだが、時間はハッキリ覚えていない。だぶん11時は過ぎていたと思う。朝昼兼用の食事をしようと冷蔵庫から冷凍食品と、筍の煮物を取り出しレンジで解凍、温めをしてる合間に、何ってことなくTVのスイッチを入れた。すると福岡で開催されている「どんたく」の様子が映り出された。人混みは苦手だし、興味がないのでチャンネルを変えてみた。しかし、他の放送局も同じく「どんたく」ライブ中継。ニュースの時間には、まだ早いと思ったけどNHK総合にチャンネルを合わせてみた。すると「震災と憲法」なる討論番組が放送されていた。タイトルと出演メンバーからして、ろくな番組じゃないだろうと思いつつ、温まった昼飯をテーブルに並べながら、ちょっと見ていた。
案の定だ。「震災復興」のためには憲法を改正した方がいい、と誰かさんがほざいていた。やっぱりろくなもんじゃねえ。だから直ぐに電源を切った。

しかし最近、この論法をよく耳にする。震災復興の遅れが憲法にあるなど、僕にはまったく理解できない。それどころか今のような危機的状況な時だからこそ「現憲法」が活かされるべきでだと考えている。被災者の支援及び被災地の復旧・復興にあたっては、個人が尊厳をもって主体的に生きることを保障する「基本的人権」が基本となるべきだ。それを震災をきっかけに、「憲法」を活かすどころか、真逆の動きが活発化している。これは危ない。

先日、自民党が発表した改憲案は、憲法の理念と基本原理に照らしても問題がある。自民党案では13条の「個人の尊重」を廃止して単なる「人の尊重」に変更している。99条では天皇、摂政を憲法尊重義務の主体から外し、なんと国民に憲法尊重を要請している。「憲法」とは国民が権力者に守らさせるもので、権力者が国民に押し付けるものではない。立憲主義の本質を根本から改変してしまう驚くべき内容だ。民主党もダメ政党だが、こんな自民党の復権を決して許してはならない。
また、夜のニュースでは、改憲派の集会で、国家緊急権規定を創設するべきだという主張がなされていた。これはおかしいだろう。
震災への対応が遅れたのは、政権担当者による現行制度の運用がまずかっただけであり、今の「憲法」で充分に対応できたはずだ。それを「憲法」のせいにし、この際、改憲に繋げようとする根性には呆れる。こういう人たちのことを「火事場泥棒」と言うのだ。僕は護憲を訴えているが、改正論議がされること自体に文句を付けるつもりはない。でも、このドサクサに紛れて「憲法改悪」を企む卑怯な連中には黙っていられない。

腹減ったと思ったら、もうこんな時間。また、冷凍食品をチンして食べるか。そして眠くなったので風呂に入り寝る。今日は釣り紀行を書くつもりだったのに、「憲法」のことだけで終わりになってしまった。
いつものことだが・・・これはまずいな。気を付けよう。
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2012年04月21日

Fotgazet通信が伝える「瓦礫に群がる震災ビジネス」

野田総理大臣は4月16日、がれきが震災復興の妨げになっているとして、地方自治体の知事や市長に対して、改めてがれきを受-け入れて欲しいと要請した。しかし、その実態は・・・

〜広域処理の裏側〜
 
posted by zundere at 02:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 公害・環境・原発 | 更新情報をチェックする

2012年04月20日

このままでは「国民主権」は形骸化する

日本国憲法全文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
日本国憲法の前文に「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と記されている。日本国のあるべき姿を規定した憲法の全文に謳っているのだから、国民が主権者であることは間違いないはずだ。しかし、この国の現状は違う、と思う。

核(原発)、消費税増税、社会保障、TPPなどなど、どれ一つ取っても国民にとって、将来を大きく左右する大問題だ。中でも原発問題は、子どもや孫の「命」どころか人類の未来まで脅かす厄介な技術だということが、今回の事故で、ほとんどの人が認識したはずだ。しかし、相も変わらず原子力行政の決定権を握っているのは官僚・政治家・電力会社、そして金で買われた似非学者。
国民の意志を蔑ろにし、権力を持った者たちの都合で、物事を決めている。この状況を国民主権の国と言えるのか。僕にはその実感がまったくない。

野田政権は、もともといい加減な基準に「新たな判断基準」などと勝手な基準を作り、それに大飯原発は「おおむね適合している」だから、再稼動させると言っている。「おおむね」とは(おおよそ、だいたい)という意味だ。仕事で、「その製品の安全性はどうなの」と聞かれて「おおよそ大丈夫です」などと答えたら、間違いなくその製品は売れない。だから何回も何回もテストを繰り返し、問題点をすべて洗い出し、改善に改善を重ね、「安全性は100%保障します」と言えるまで完成度を上げた製品しか市場に出さない。こうした真面目な努力と研究心。そして、何よりも安全意識が高かったからこそ「Made in Japan」製品が世界で信頼を得てきたのだ。バカども違うか。
それを「だいたい安全」などと、極めていい加減な言葉で判断を下した。ホントにふざけてる。彼らにおよそ国民の命や財産を守ることなど出来ないだろうし、ましてやフクシマの教訓を無視して、原発を再稼動させる権利もない。

この世に神など存在しないことは知っているが、もし居るなら天誅を下して欲しい。僕は無宗教だから、神様の種類は問わない(庶民の王者様でも、この際だから可)。
夢で見た霞ヶ関・永田町限定の大地震が本当に起きないかなー(ついでに信濃町も)。

冗談はさておき、原発再稼働には地元の意向を尊重する、と国は言うが、この場合の「地元」とは立地自治体の首長を指す。住民がどう思っていようが、首長が「稼働OK」を出せば、原発は再び営業運転を開始される。これは余りにも不条理だろう。電源立地交付金で潤ってきた原発の地元自治体にのみ将来への選択権が与えられ、事故が起れば被害を受けるだけで、何の恩恵も受けていない周辺自治体は、口を挟むことも出来ず、ただただ成り行きを、指をくわえて見ているしかないという現実。これは明らかに法の下の平等にも反している。事故が起きれば、間違いなく被害を受けることが確実な地域の住民が、「原発再稼動」に賛否を下す権限がないなどというばかげた仕組みが許されていいはずがない。しかし、周辺住民には原発再稼動に反対の声を上げたり、デモに参加することは出来ても、「再稼働」を止めることは出来ない。 
子どもや孫の未来を左右する原発行政の、どこに主権者であるはずの国民の意思が反映されているのか・・・
国の方針とは、霞ヶ関が決め、その手先である政治家が決定権を握ってきたとしか思えない。政治家も特別職とはいえ公務員である。やっぱり国民主権の国とはとても思えない。
現実は「公務員主権」が、この国の実体だろう。
 
また憲法前文には、こうも書かれている。
「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し・・・」
われわれが投じる1票で本当に国民の「代表」たるに相応しい候補者を選ばないと、「国民主権」は形骸化してしまう。だから、われわれの1票を行使し、次の選挙で確実に彼らに天罰を下そう。

今日の西日本新聞に、先日まで読んでいた本の著者、高村薫さんの論評が載っていた。
この方の指摘は的確で鋭い。Webには載ってないようなのでコピーできない。なので少々面倒だが、打ち込んでブログに残すことにした。訪問者に無理してでも、読んでとは書けないが、間違いなく読む価値がある。
西日本新聞「社会時評」〜原発再稼働を急ぐ厚顔〜
posted by zundere at 18:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 平和・憲法 | 更新情報をチェックする

2012年04月13日

沢田研二が歌う脱原発ソング

久しぶりに友だち以上あいじん未満さんの家に行くと、いきなり
「あのね、このまえBSでね、ピーを見たのよ」
とやや興奮気味に早口でしゃべりだした。
「ピーってなに?犬の名前か、それとも柿ピーか」
すると明らかに、ちょっと怒った口調で、
「柿ピーじゃないよ、タイガースの中で一番かわいかったピーだよ、知らないの」
やっとピーがタイガースのメンバーであることを大枠で理解した。でも沢田研二の愛称がジュリーってことと映画やドラマで、よく見かける岸部一徳以外は、タイガースのメンバーを、余り覚えてない(もともと余り知らない)。
「俺、ゴールデンカップスなら、今でも覚えているけど、タイガースのメンバーは・・・特にピーって人の記憶がまったくないんだけど、担当の楽器はなんだったの?」
僕がピーのことを知らないことに、不満気な表情を一瞬見せた彼女は、
「ドラムよドラム。凄くかわいかったんだから」
と言い、一気にその放送内容を饒舌に話し出した。
彼女がこれほどペラペラと話すことは珍しい。当時、幼女だったか少女だったか?何ってのは、さておき大好きだった彼(ピー)を思いがけなく、見れたことが、かなり嬉しかったようだ。
話を聞いても結局、僕はピーの顔を思い出せなかった。だから遅ればせながら、さっき「瞳みのる ピー」で検索を入れてみた。そしてヒットしたのが、この映像。
ついでに彼女が見たと言う番組も You Tubu にアップされていたので見た。しかし、若いピーと還暦を過ぎたおじさんピーの映像を見ても、僕の記憶装置に彼は蘇らなかった。やっぱり知らない者は知らない。
でも、「沢田研二LIVE 2011~2012 ツアー・ファイナル 日本武道館」は、GSが一世を風靡した時代を思い出し全部見てしまった。「銀河のロマンス」なつかしいー。

この一連の検索で、沢田研二が「F.A.P.P」と言う脱原発ソングを歌っていることを知った。

3月8日の雲~カガヤケイノチ.jpg

F.A.P.P(フクシマ・アトミック・パワー・プラント)  
作詞:沢田研二・作曲:柴山和彦

♪ 太陽と放射能 冷たいね
子供はみんな校舎の中育つ
死の街は死なない かけがえのない大事なふるさと
我が家へ帰れない 希望はあるけど
こんなにしたのは誰だ

BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
苦しみは いつも複雑すぎる 当然
BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
HAPPINESS LAND 終息していない福島

地球が怒る 何度でも
大人はいつも 子供を想い悩む
死の街が愛しい あらゆる不安に苛まれても
偽善や裏切りも これ以上許すの
何を護るのだ国は

BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
哀しみはは ひとりひとりで違うよ 当然
BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
HAPPINESS LAND へこたれないで福島

NO 長崎  MORE 広島
人は何故 繰り返すのか あやまち 当然
BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
HAPPINESS LAND 世界が見てる福島
世界が見てる福島


我が窮状(九条)と同じように・・・当然は(東電)かな
書き忘れたけど画像をクリックすると、少しの間のみのアップだそうだが、曲が聴ける。
沢田研二が「バイバイ原発」と熱唱 経産省前テント訪問へ
人気歌手の沢田研二が脱原発ソングを高らかに歌っている。
これまで「脱原発」を表明したメジャーどころは、坂本龍一率いるYMO、スチャダラパーの2グループ。2011年6月の野外フェス「ワールドハピネス」で脱原発を訴えた。YMOは「NO NUKES」Tシャツを着て脱原発の旗を振った。
斉藤和義は福島の原発事故後、自身のヒット曲「ずっと好きだった」の歌詞をかえて「ずっとウソだった」を「YOU TUBE」にゲリラ的にアップ。東電を「クソ」とぶった切った。
そしてジュリーは新曲「F.A.P.P」で「バイバイ原発〜」と艶やかな声で歌い「収束していない福島」などとやり「国は何を守るの」と政府を糾弾。
メジャー歌手が正面きって脱原発を訴えるのは、日本ではかなり勇気がいる。俳優の山本太郎のようにキー局の仕事を干されてしまうこともある。
というのも「テレビのスポンサーである東電、東芝、日立、三菱重工、ゼネコンの鹿島などの大手企業が原発にたずさわりにらみ≠きかせているから、局としても番組に下手なキャスティングができない」(情報番組スタッフ)らしい。
そうしたなか、ジュリーは近々、脱原発を訴え経産省前でテントを張る人たちを応援するため同所を訪れる予定だというから、その「本気度」がわかる。
音楽関係者から聞いたことがある。
ジュリーは納得のいくまで徹底的に曲作りをし、ストイックなまでにリハーサルを繰り返す完璧主義者。
きっと東電や国のあまりのいい加減な対応、政策に憤慨し「運動」に参加するのだろう。
斉藤和義がかつて次のようなことを語っていた。〜他の歌手たちが脱原発を訴え、後に続くかと思ったが、それがなくて悲しかった〜と。
今回、大物の沢田が続いたことでさらに「脱原発」の輪は広がりそうだ。
(2012年4月11日 東スポWeb)
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2012年04月11日

やっぱりこいつか

今朝の東京新聞が一面トップで報じた記事を読み、やっぱりと思った。
4者協議はただ追認するだけで、後ろで糸を操っているのは、電力会社と深い繋がりのある仙谷由人。
このままだと、北海道電力の泊原発の3号機が5月5日に停止し、国内の54基すべてが止まることになる。それでも電力不足が起きなければ、国民の間から「原発はいらない」という声が一層高まることは、目に見えている。その前に、何が何でも大飯原発を「再稼働」させたい野田政権。そしてオール財界・オール霞ヶ関・・・
原発再稼動、消費増税、TPPなどなど、いずれも財界、霞ヶ関の筋書き通りにことが進む。政・官・業癒着の弊害が指摘された自民党政権時代より、はるかにタチの悪い民主党政権だ。

今読んでいる本の中に、次の様な言葉がある。
「政党という装置の本質は数を集めることであり、選挙に勝った装置にとって、世論は制約になっても本質には響かない。政治家は謀議はするが審議はしない。政治家や官僚は自分たちの都合のいい法案しかつくらない。」
まったくその通りだ。
「チーム仙谷」再稼働主導 首相・閣僚4者協議 形だけ
関西電力大飯(おおい)原発の再稼働問題で、野田佳彦首相と関係三閣僚が頻繁に会合を開き、議論している。だが、再稼働問題は実質的には仙谷由人党政調会長代行が中心となる通称「五人組」が、水面下で議論を仕切っている。そして首相らの四者の協議は、それを追認するような形だ。まさに政府・与党、さらに財界、霞が関が一体となって「再稼働ありき」を進めようとしている構図が浮かび上がる。(城島建治、関口克己)
全文は続きに記した。
続き
posted by zundere at 17:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治関係 | 更新情報をチェックする

2012年04月07日

申込終了

SHOGO HAMADA
ON THE ROAD SECIAL
"The Last Weekend"

6月2日(土)・3日(日) さいたまスーパーアリーナ

hamada3.jpg

今日から開始された一般エントリーに登録した。
ファンクラブ先行予約の抽選結果はもう出ているようだが、非会員の僕がチケットを入手する方法は、この一般エントリーだけ。当選するのは相当難しそうだ。
当選すれば2年ぶりに東京へ行くことになる。でも、東京は嫌いなので、今のところ余り気が進まない。正直なところ当選したらどうしようかと思っている。
チケットが手に入るかどうか分からないのに、色々考えてもしようがない。
すべては21日の当落結果が出てからだ。

落 選

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2012年04月06日

「絆」などと矮小化するTV

被災地の「がれき」処理をめぐって、各地の自治体が受け入れを表明する動きが加速している。政府は「がれき」が被災地復興の妨げになっていると断言。メディアも同じ論調で、「がれき」を受け入れない地域を冷たい視線で報じている。しかし、「がれき」が復興の妨げになっている、と言うこの主張は本当なのだろうか。
ただ復興の遅れを被災地から批判されるている政府が、単に問題をすり替えるための方便ではないのか。
放射性物質を含んだ「がれき」とそうではない「がれき」が一括りにされており、問題点の整理さえされていない。
震災で発生した「がれき」の大半は沿岸部や郊外に集められている。震災前と同じ場所で復興作業を進めるのであれば、確かに「がれき」は、復興の妨げになるだろう。でも、津波がいままでの「想定」以上の高さで町を襲った事実を考えれば、高台での町づくりを基本とすべきで、震災前と同じ地域での復興は自殺行為に等しい。ならば、「がれき」 が復興を阻む最大の要因とは言い切れないのではないか。「がれき」処分と復興は、同時進行が可能なはずだ。
震災以来、「がんばろう日本!」や「絆」という言葉を聞かない日がない。確かに、何らかの形で被災地の復興に手を貸すのは、同じ「日本人」いや、人間として当然のことだ。しかし、放射性物質を含んだ「がれき」を拒否することが、それに反するというのは違うだろう。
放射性物質は、封じ込め、拡散させないことが原則であり、その観点から、東日本大震災前は、IAEAの国際的な基準に基づき、放射性セシウム濃度が1キロあたり100ベクレルを超える場合は、特別な管理下に置かれ、低レベル放射性廃棄物処分場に封じ込めてきた。
ところが、国は震災後、当初、福島県内限定の基準として出された8,000ベクレル(従来の基準の80倍)を、まともな説明も根拠も示さないまま、広域処理の基準にも転用した。現在、原子力発電所の事業所内から出た廃棄物は、100ベクレルを超えれば、低レベル放射性廃棄物処分場で厳格に管理されている。なのに、原子力発電所の外では、8,000ベクレルまでが、東京都などで埋立処分されてる。これはどう考えてもおかしくはないか。
そして、8,000ベクレルという水準は国際的には低レベル放射性廃棄物として、厳格に管理されている、という事実だ。
ドイツやフランスでは、低レベル放射性廃棄物処分場は、国内に1ヵ所だけであり、しかも鉱山の跡地など、放射性セシウム等が水に溶出して外部に出ないように、地下水と接触しないように、注意深く保管されている。そんなことを地方の焼却所では出来ない。なのに何故、震災「がれき」だけは別の基準で処理が可能なのか。そのことに対する国の説明がないまま、「がれき」処理の受け入れが進まないことが復興を遅らせているという作為的な大義名分がまかり通っているのが現状だ。それが国と大手メディアの情報操作だということを、「福岡市民は、自分だけ良ければいいって言う人間ばっかりなのか。声を大にして正義を叫ぶ人間はいないのか?情け無い君たち東京を見習え」などと云々言う馬鹿なジジババは無理としても、小さな子どもを持つ若いお母さんやお父さんは、もういい加減に気付いたらどうだ。
そもそも低レベル放射性物質が人体に及ぼす影響について、科学的に証明することができるデータや実験結果など存在しておらず、原子力ムラの御用学者が「大丈夫」と連呼してきたに過ぎない。
僕はどんな理由があるにせよ、放射性物質を全国にばら撒くことが許されるとは到底思えない。復興支援の遅れを「がれき」の受け入れを拒む自治体のせいにする流れは、国の無為無策を証明しているだけのことなのだ。
 この国の政治から物事の原則が失われて久しい。
 国が全国の自治体に受け入れを求める震災がれき。「広域処理」推進キャンペーンで、道内の自治体にも混乱が広がる。
 放射能を扱う原則は、「閉じ込める」。国のやり方は逆を行く。薄く、広げるーだ。放射能とともに、無責任に拡散する。
 しわ寄せを受けるのは、末端の市町村。「受け入れる」「受け入れない」放射能汚染を心配する住民を巻き込んで議論百出。誰もが被災地・東北の再生を願う気持ちに変わりないのに、国の無策が自治体に溝を広げ、住民を分断している。
 広域処理は本当に必要か。食料基地・北海道の将来と住民の安全に誰が責任を負うのか--。
◆   ◆   ◆
 
 そんな疑問を持って道議会を傍聴すると、推進論が大勢。高橋はるみ知事、民主の両会派も「早く」 「積極的に」。
 「いま一度、『がんばろう日本』。(東北との)絆を大切に」(自民・柿木克弘氏)
 だが一皮むけば表の推進論とは逆の声が聞こえる。
 自治体の首長も経験した道議の指摘。「広域処理とは、地方に丸投げということ。本当はまずいのに、いつの間にか引き受けなければというムードに道議会も流されている。末端の町村は人手も技術もなく、長期の監視などとてもできない」
 以下のような問いにも、明確な答えは示されていない。
 「道の独自基準(焼却前の放射性セシウム濃度1キロ100ベクレル以下)の科学的根拠は。焼却灰や埋め立て地のモニタリングなど放射能管理の長期間の展望は」(共産・真下紀子氏)
 国からも道からも説得力ある回答なし。道が国よりも厳しい独自基準を設けざるを得なかったように実態は自治体任せ。
 そもそも政府に震災がれきを「安全」と言い切る能力はあるのか−−。「環境省は廃棄物やがれき処理は担当するが、放射能に関しては技術的知見を持ち合わせていない」環境省の担当は広域処理に反対する市民団体との集会でこう言い放ち、参加者を唖然とさせたという。(東京新聞3月27日朝刊)
 がれきは専用の焼却施設を被災地に建設し、厳格な管理下で集中処理すべきものだ。政府が努力を怠った付けが、地方の実情や特性を無視した泥縄の広域処理となる。結果、責任は市や町や村へと拡散、転嫁される。
◆   ◆   ◆
 被災地を思い、道内でも多くの自治体が支援してきた。
 しかし政府は「絆」という言葉に寄り掛かり、強引に広域処理に乗り出した。まして「受け入れ」可否をめぐり自治体を選別するかのようなやり方は責任転嫁以外のなにものでもない。
 「(放射能汚染という)将来に不安が残ることはやるべきではない」。筆者は、受け入れを拒否する札幌市の上田文雄市長の考えは的を得ていると思う。
 原子力物理学者で原子力の危険性に警鐘を鳴らす小出裕章・京大原子炉実験所助教に尋ねると、次の答えが返ってきた。
 「政府のやり方には明白に反対です。現地に専用施設を造るべきだ」。その上で、仮に全国で処理する場合の条件として@焼却施設に専用フィルターを付け、現場で性能を確認するA焼却灰は各自治体が処分するのではなく(原発事故を起こした)東京電力に返すーことを挙げた。
 小出氏によれば、福島第一原発では事故を処理のため今後膨大なコンクリートが必要になる。焼却灰の活用ならまさに一石二鳥。広域処理を言う前に政府は無策を反省し、自治体と住民が納得できる対応を示すことだ。
(2012年4月1日 北海道新聞「異聞風聞」編集委員・大西隆雄)
野田政権は、放射能を広く、薄く、日本社会に拡散しましょうという考えだ。こども手当と同じような考えで「放射能」もバラ蒔くというのだから・・・もうホントにどうしようもない。
そして「消費税増税」問題も何ら明確な説明がないままことを運ぼうとしている。「絆」などと矮小化するTVのコメンテーターとやらは、自分の発言に責任を持てるのか。放射性物質を含む「がれき」の影響が十分議論されないまま、「絆」などという情緒的な雰囲気に流されないために、個人それぞれが正しい情報をもとにした断固たる意思表示が、今こそ必要だ。
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2012年04月01日

さとうきび畑

〈ざわわ ざわわ ざわわ〉が繰り返される曲がある。「さとうきび畑」。何人もの歌手が歌い、沖縄の思いを伝える曲になった。歌碑が沖縄県読谷村に完成し、きょう除幕式が行われる。

▼4月1日は沖縄にとって特別な日だ。1945年のその日、米軍が沖縄本島に上陸した。64年に米国統治下の沖縄を訪れた寺島尚彦さん(2004年没)が曲を作り、詞もつけた。「ざわわ」はサトウキビ畑を渡る風の音
▼歌碑は寺島さんと交友があった知人が思い立ち、コンサートを開くなどして資金を募った。新聞で知った読谷村が用地を提供した。サトウキビ畑と海が見渡せる場所に立つ歌碑には11連の歌詞全文が刻まれる
▼「ざわわ」は66回繰り返される。「鉄の雨」にうたれて死んだ父親に「なぜ?」と尋ねる一人の少女を歌った。聴く人は、サトウキビ畑の下で眠る人々の声なき叫びを聞く。畑の風が運ぶ沖縄のすすり泣きを聞く
▼寺島さんが「ざわわ」を聞いて半世紀が近い。戦争が終わっても、米国統治が終わっても、すすり泣きはやまない。米兵の事件が絶えない。米軍基地の沖縄集中も変わらない。「鉄の雨」に代わって今は、言葉が凶器となって本土の政治家や官僚からも飛んでくる
▼なぜ沖縄が? どうして沖縄県民だけが?…。波立つ怒りが「ざわわ」の数を増やし続ける。本土に復帰して40年。本当の復帰は国民が「ざわわ」に耳を澄ますことから始まる。

=2012年4月1日 西日本新聞「春秋」= 

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2012年03月30日

水俣はまだ、終わっていない

3月27日(22:00〜)、NHK福岡で放送された九州沖縄特集「花を奉る・石牟礼道子の世界」を見た。石牟礼さんは、7年前からパーキンソン病を患い、腕や首の揺れが激しい。しかし、文字を書くときや木々の花を描くときは、その震えを見事にコントロールし、筆を操る。それは、長きにわたり使い慣れ親しんだ筆が、震えを止めているかのように見えた。
番組は、彼女が久しぶりに水俣の自宅を訪ねるところから始まる。柔らかな陽が射す窓の傍に、「苦海浄土」を書いたときの小さな文机が、ひっそりと置かれていた。その光景は、彼女の生活がいかにつつましかったかを想像させた。

「嫁入り前」の若い女性。既に水俣病に侵され、桜の花びらが散る季節になると、それを目当てに縁側から地面に降りる。

  花びらば かなわぬ手で 拾いますとでございます
  いつまででも座って
  指さきで こう 拾いますけれども
  ふるえのやまん 曲がった指になっとりますから
  地面ににじりつけて
  桜の花びらの くちゃくちゃにもみしだかれて
  花も あなた かわいそうに

こう語る女性の母親は、石牟礼さんに対し、
「チッソの人に、花びらば1枚だけでよござんます、拾ってやってはくださいませんか」
と、文に書いてくれと頼んだのだという。

番組中、一株株主運動の拠点となった大阪厚生年金会館で行われた「チッソ株主総会」の場面が出て来る。この時のチッソ社長は、日本興業銀行から来た江頭豊社長。皇太子妃雅子さまの母方の祖父だ。この場面は土本典昭監督の映画などで何回も見た。その度に、大企業の傲慢さに怒りを覚える。そして、水俣を考える度に、この国「日本」の政治家や行政の正体を再確認する。
石牟礼さんは言う、
「皆さんもう席に帰りましょう。無意味、人間のあわれさ・・・これ以上は無意味です。あとは天下の目が裁いてくれるでしょう。私たちは水俣へ帰りましょう。水俣以外のどこへ、帰れるところがあっただろうか。」

石牟礼さんたちは、昭和46年12月から、1年7ヵ月にわたって、東京のチッソ本社前に座り込んだ。凍てつく朝に、石牟礼さんは、ある風景に出会う。子猫が、自分の排泄物を埋めようと、地面をかきむしっている。しかし、コンクリートの地面には、泥がない。猫はただむなしくコンクリートをかきむしるだけ・・・
チッソ前に座り込んだ石牟礼さんたちの映像や写真を見る度に、昭和40年代に厚生省玄関前に座り込んだ若き日の自分を思い出す。

この番組は「日本が歩んできた近代とはなんであったのか?」を改めて、根底から問いかけた。
見終えた僕の頬は涙で濡れていた・・・水俣はまだ、終わっていない。

花を奉る 石牟礼道子の世界(前半)

花を奉る 石牟礼道子の世界(後半)

水俣病が東京湾で起きたら、どうなっていたか・・・
国内のすべての原子力発電所およびその関連施設が東京湾岸にできていたら、どうなったか。
同型の問いである。そうならないように、この国の高度経済成長は進行した。
都市化と産業化の取り返しのつかないツケを払わされるのは地方であり、そのまたツケはいずれ都市にも及ぶだろう。
そして、日本全国に。
水俣病症状 潜んでいた里
〜山あい 救済法の対象地域外 芦北の黒岩地区〜
 四つんばいになりながら、久保スミ子さん(82)が昼食の支度をしていた。「手も、足もしびれてですね。年を取ったからと思っておりましたけど、あの魚を食べたけんですかね」
 熊本県芦北町の沿岸から、約6キロ離れた山あいにある同町黒岩地区。昨年10月、水俣病被害者の掘り起こしを続ける医師らにより、この地区で集団検診が行われた。住民78人のうち、受診したのは40〜80歳代の39人。うち37人に手足の感覚障害など、水俣病の特徴的な症状が確認された。
 国の基準で水俣病と認められていない被害者の医療費などを負担する「水俣病被害者救済法」の申請が2010年5月から始まっているが、対象地域は原則不知火海周辺の沿岸部で、黒岩地区は含まれていない。このため申請には不知火海がメチル水銀で汚染されていた時期に魚を多食した証明が必要になる。

「毎日のように魚ば食べよりました。4人の行商人が入れ替わりに来よらした」。夫の康夫さん(86)は当時のことをよく覚えている。地区周辺の道は1960年頃まで人ひとりしか通れないほど細かった。行商人たちは、港町に揚がった魚をてんびん棒の両側につるした竹カゴに入れ、歩いて売りに来ていたという。全文
(2012年3月30日 読売新聞九州版)

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posted by zundere at 21:10| Comment(0) | TrackBack(1) | 公害・環境・原発 | 更新情報をチェックする